一発逆転の横浜 不動産
仲介のあるケースはいきなりトップ同士の話に持っていくのですが、通常のモノの売買とは違う進め方は、これは日本のビジネス慣行で私が学校を出て会社に入ったのが一九七一年ですから、皆さん方とおおよそ三十ぐらい離れていますが、今回の先生方の中では一番若輩です。
私はタイャメーカーの中で三十年を過ごしましたが、タイヤ部門との関わりというのは、二十代の終わりに仙台工場の技術課に二年間勤務をした、その二年間だけです。
それ以外は、全社の経営計画を見る以外はほとんど、ノン・タイヤ部門を中心に動いて参りました。
ノン・タイヤ部門では事業構造革新の手段として、事業のM&Aや提携協業、技術/ブランドのライセンス供与や技術輸出/輸入、などを中心になって進めてきました。
いくつかの例をあげてみたら十五・六のケースがあります。
とここまでお話ししたら皆さんは私が若い頃から海外ビジネスで経験を積んだと思われるかもしれませんが、実は四十歳になって、しかもこの仕事を始めるようになって初めて海外に出ました。
それまではもっぱら国内ばかりで、K先生とは異なり、海外に駐在したことも、住んだこともありません。
実際に進めてきこういった経験の中で、やはりこれはタイヤでも自動車部品でも同じですし、非自動車事業でも同じですけれども、選択と集中が、一番大きなテーマです。
八○年代の末から九○年代の初めというのは、バブルの真っ最中で、多角化・総合化ということがもてはやされました。
現在あるいはここ四、五年程度までは、選択と集中という言葉に象徴されるように、競争優位に向けて、余計なものを切り捨て、自分の強いところに集中して、不得意なところは積極的に他人の力を借りていく進め方になって行かざるを得ません。
日本の自動車メーカーが海外に出始めた八○年代の末では、この地域には一緒になって出ていくけれども、他の地域は遠慮するといったことが、現在では通用しなくなって、不得意なところは積極的に得意な会社と手を組んでグローバルに供給できないと企業として存続しがたくなっていく、という意味です。
成功したケースは一言で言うと、モノの売買から入って一歩一歩信頼感を下から積み上げていく、引き合いから価格の交渉から支払・クレームまで、お互いが実務の人たちからトップの人達まで、それぞれの段階で「あの会社は信頼できる」という確固とした信頼感があったからです。
実は成功したケースの中には過去には一度失敗したこともあるが、やはりトーヨーと一緒にやりたい、と復活して数年後にうまくいったケースが含まれています。
担当した私としては、私個人と会社が相手と信頼の紳で固く結ばれていたんだ、と何よりも嬉しかったことがいまでも強く思い出されます。
私の小さな経験の冒呈君○塁Qですが、ビジネスはこのようなお互いのWin+Win関係が一番大事です。
皆さんにも同じ喜びを是非味わっていただきたいと思っています。
これは日産のマーチ、それからルノーのクリオ、ルノーのツィンゴです。
日本の自動車メーカーで日産自動車が九九年の春でしたけれども、ルノーが実質的に五十一%を支配いたしまして、経営者を送り込まれ、それから「リバイバル・プラン」を発表し、それを三年間でなしとげるということで、様々なリストラをきれたことは、先ほどK先生からお話があった通りです。
その時に自動車という商品の開発では二つの大きな出来事がございました。
まず第一は、日産自動車っていうのは当時、トヨタ自動車と同じぐらいのプラットフォームの数があったわけです。
プラットフォームというのは、土台になるフロアパネルのことを指しまして、一つの車には通常一つのプラットフォームというのが、それまでの考え方でした。
現在ではもうかなり違っていて、例えばトヨタのヴィッッをみてみますと、これはヴィッッの他にプラッッもそうです。
当社の防振ゴム事業のグローバル化の取り組みは、次の三点が中心です。
第一には国内防振ゴム事業の拡大で、これを私どもは統合戦略と呼んでいます。
第二には、国際ネットワーク体制を作っていくことで、当社からみて地理的・物理的に限界線を越えたところでの戦略を、合従連衡を基本とした提携戦略で対応するものです。
第三は、中国・北米、あるいは東南アジアなど急成長を遂げている地域への対応で、これはもう自分の宝物ですから、単独で進出していく戦略です。
成長地域この二つの宣言が、日本とョ1ロッパの自動車部品メーカーの合従連衡を一挙に加速きせ、企業グループどうしの職烈な受注競争が始まりました。
本日ご説明する内容の背景のひとつですが、結論を先に言いますと私どもは、大きな勝利を手に入れることができましたし、この合従連衡つくりができなかったヨーロッパの某社は売却されてしまいました。
カーゴがそう。
あとは何がありますか。
イストがそう。
といって、異なった七つのボディがひとつの共通のフロアパネルに載っていて別のクルマとなっています。
走行系から駆動系からエンジンから、全部同じで上に載るボディだけが違います。
日産自動車はそういうプラットフォームが当時二十五あったのを、十へ削減しますよ、できるだけ共有化していきますよ、と宣言し実行しました。
ちなみにルノーは八つでした。
第二には、当時は主にヨーロッパ中心に言われておりましたBセグメント、小型車に傾斜します、と宣言しました。
Bセグメントというのは八百mから千二百コンセプトのクルマです。
日産・ルノー統合の第一歩として新しいBセグメント車を日本で新しく開発するマーチをベースに開発する、それをルノーのクリオ・ツィンゴにも適用して同じにしていく、ということです。
新しいBセグメント車は世界レベルで百万台作る。
日産は、マーチと同じプラットフォームのキューブ合計で十五万台、ルノーが二車種合わせて八十五万台つくる、という計画を宣言したのです。
それでは最初に、当社自動車防振ゴム事業の国内統合戦略から説明します。
当社は二○○○年四月に鬼怒川ゴムと資本提携・業務提携しました。
合意して発表したのは九九年の九月です。
鬼怒川ゴムは三つの事業、コア・コンピタンスの車体シール事業、ブレーキ部品事業と、防振ゴム事業、からなっています。
防振ゴム事業は、当社と比べて非常に規模も小さく収益性が悪い、ということで、じゃあその経営を当社が引き受けるということで、他の事業との相乗効果も狙った業務を進めています。
第三の成長地域への単独進出については、北米ではケンタッキー州での自動車部品工場の工場建設を行なって受注も順調に拡大しています。
二○○二年七月に稼働させて、さらなる事業拡大を目指しています。
合わせて中国での単独進出につきましてもフィージビリティスタディを進めています。
ですから、これは当然です。
最初の国内防振ゴム事業の拡大(、統合戦略)の概要を説明いたします。
第一の国内防振ゴム事業の拡大では、日産自動車の防振ゴムのシェア五十%以上を保有している鬼怒川ゴムと営業・技術開発全面にわたる業務提携をします。
続いてトヨタ自動車のサプライヤーである豊田合成から防振ゴム事業の事業取得を行なっています。
現在もさらなる拡大策の展開を検討していますが、進行形については説明をご容赦ください。
第二の国際ネットワーク体制では、最初に日産・ルノーのグローバル・ソーシング、世界最適調達対応です。
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